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はじまり

 

 

 観光案内はあんまり書けないが、出会った人や偶然や奇跡で、感じたこと、考えたことを中心に綴っていきます。

 これは30年ぐらい前の話であります。自分でも、もうそんなにも月日がたってしまったのかとビックリである。

いろんな事情が変化しているとおもわれるので、そこのところを考慮してお読みください。

 

 開高 健さん曰く 「自分が訪れた場所に残った自分自身をかき集め、溶かして、合わせて、書き残す。」そんな作業ができればさいわいです。

 

 高校卒業→進路

 高校卒業を迎える頃、将来の進路を考えるとき、すでに「海外へ行きたい」と親には相談していた。

 とにかくもっと大きな舞台に出て、いろんな価値観に触れて、その中で自分がどんな人間なのかを探したい。この世の中には、何かコアな原理原則みたいなものがあって、そんな何かがこの世を動かしているはずだ。そんなものに触れてみたいと思った。とにかく広い視点から自分の立ち位置を確認したいと思った。

 しかしそんな浅はかな願いは、当然のごとくあっさりと却下され、“ジャーどーしよっかなー”と言うことで、跡継ぎになる床屋の道に進むことにした。

 

 高校3年の皆が受験に焦りだしたころ、それまで話したこともないK君が突然教室に来て、「一緒に東京の理容学校いかん?」と話をもちかけられた。

 彼も床屋の2世らしいのだが、今まで一度も話したことがなかったにもかかわらず、どうやって自分までたどり着いたかわからないけど、“んー それもいいね”ってことで一緒に東京の理容学校へいくことに。親も海外いくよりはまだ東京ならと思ってくれたんじゃないかなと思う。

 

 専門学校→修行

 東京ではとてもいい友・先輩・後輩に恵まれ、とても厳しい修行期間ではあったが、楽しく充実した日々であった。ほんとによく笑って、よく泣いて、スッゴい悔しがって、たくさん感動していた。

 いろんな考え方があることを学び、色々な矛盾が存在することを知り、いろんな可能性があることに気づかされ、もっともっと勉強しなければならないことがあることを痛感した。

 

 そんな日々のなかで、またあの高校のときのような海外へ想いが沸々とわきだしてきて、今回は押さえきれなくなってしまった。

 どんな感じなのかなーっと、かるーい気持ちで情報を集めはじめ、自分でイギリスの語学学校探し出し、自分で申請出し、自分で淡々とあれこれ準備を始めてしまった。

 淡々と進めていいたのだが、まだなんだか他人事のような感覚であった。しかし、航空券を買った時点で「あ、俺 ほんとにいくんだ!」と我に返り、はじめて緊張しだした。

 あとはもう勢いのみ。親には「行きます」と有無を言わさず、お世話になっていた店には突然「やめさせていただきます」と宣言した。

 先輩後輩には迷惑をかけてしまうにもかかわらず、盛大に送り出していただいた。

 

 渡欧

 その頃の自分の英語能力は? と聞かれることもあるが、中学生以下であったと思う。

 行きの飛行機、大雪のためでソウルにて臨時に1泊することになり、現地イギリスに到着日が遅れることになってしまった。初日からハプニングである。遅れることをホームステイ先の家庭に連絡しなくてはいけないのだが、なにせ斡旋業者に頼らずに全部自分で設定・準備したので、こんな緊急事態も自分で対応しないといけない。でも自分の英語力は中学生以下、さあどーする。

 幸い卒業旅行で乗り合わせていた大学生が何人かいて、その子達に御指南うけてなんとか連絡できた。

 

 それから彼らに生活上で必要な英会話を教えてもらい、何とか食べれて、トイレを探せて、お礼を言えるぐらいのことは覚えた。

 そんな程度の語学力。今思えばなんて無謀な奴だと。

 

 

カルチャーショック

イギリスに着いて初めてのカルチャーショックは、空港内でのトイレ。

 小の便器は今のように胸から床までずっとあるタイプではなく、最小限の大きさのが壁に取り付けられているタイプの便器。

 その取り付けてある位置が、日本のより、なんと!、ずっと高い位置に取り付けてあるのだ!

 見た瞬間に足がひるむ。「そうか、西欧人は足が長いのか! こ、これは,俺でも届くだろうか?」

 恐る恐る、平静を装いながら、一歩一歩 便器に近づいてみる。「こ、これは!」

 何とか背伸びせずに届いたが、なんともやりにくい!

 

 これが一番初めのカルチャーショックでした。チャンチャン