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Day10 ノルウェー

 朝イチの観光船にのっていざソグネフィオルド。

 全長200km 海への入り口辺りの深水は1224m  幅5km  そびえたつ両岸の高さ1000m以上。

 大自然  自然と歴史 時の積み重ねの偉大さに 己の小ささを思い知る気がする。こんな大自然に触れたのははじめてである。

 地球の表面に生きているちっぽけな存在が、時の積み重ねによって作り出された大自然のなかで生かされているという感覚がビシビシ感じられる。

 何億年も前から続く営みのなか、自分が知らないところで、しかし確実にそこにあって、着実に流れていて、圧倒されるというのはこういうことなのだ。圧倒されて吸う空気までも重たく感じる。

 

 母の実家は長野の山奥。昔まだトンネルができていない頃は、飯田から車で峠を2つ、1時間30分はかかるようなところ。小さいときからよくかよって、山々に囲まれた大自然にはそれなりに触れてきたが、ヨーロッパはやっぱりスケールがでっかい。山々に囲まれた日本では写真を一枚とってもそれなりに絵になる。しかしヨーロッパでは写真一枚では収まりきらなくて、パノラマ写真でないと伝わらない、といった感じかな。

 こんなところで生活している人間は、どんな人間になるのだろう。

 

北極圏道中での出会い

 さてさて、そんな息苦しいほどの大自然を体験したところで、次はどーしよっかなーとかんがえる。

 ふと地図を見ていると、ノルウェーの上の方に赤い線がスーっと通ってるではないか。これはなんだ? あ、北極圏か。ここまで来のだし せっかくだから北極圏までいってみるか。

 調べてみると朝出発して北極圏を越えて終着駅のナルヴォークに夜に到着する列車がある。 そこで乗り換えて夜行列車となって次の目的地、ストックホルムへ行けるみたい。ってことで、その列車に飛び乗った‼️

 列車はコンパートメントではなく、普通の座席。ここで現地のご婦人と同席になった。ほんとよくしゃべる気のいいおばさん。「こんなところに来るにはまだ季節が早すぎだ」と怒られた。自然、気候、産業、政治をずーと語ってくれた。

 ノルウェーはほとんどが山脈で、水源が豊かだそうだ。そのため国内の電気はほとんど水力発電でまかなわれていて電気代も安い。とてもクリーンな環境を保っているそう。それに海からの恵みも豊富で人々の生活も潤っている。政府に対する信頼感がとてもあって皆が心穏やかに生活しているんだとか。

 と、こんな感じに、まだ英語3ヶ月勉強しただけの日本人に、マシンンガントークしてきた。でも全然飽きなかった。

 

 夕方ぐらいになって軍服を来たすごい人数の若者たちが乗り込んできた。ノルウェーにも徴兵制があって、休暇でいっぺんに地元に帰る若者たちだそうだ。すぐに席は埋まって、通路にも重なるように立ち尽くし、しかし騒ぐこともなく、誰も目を会わせるでもなく、ただ列車に身を任せていた。

 日本で軍服きている人に身近に接したことはなく、軍服きている人に周りを囲まれたこともない。そんな時間と空間が過ぎていっていた。

 

 「ところで日本にも徴兵制ってあるの?」と聞かれ、慌てて首を横に降った。

 その頃まだ、戦争や世界事情やその歴史も、背景も、政治事情も何にもわかっていない、何にも関心がない若造には、まるで語ってはいけない話題であるかのように自分で思い込んで、何も言えなかった。

 

 EU内で徴兵制度がないのはイギリスだけ。若者はある年齢になるとみな軍に所属して いろいろな訓練を受ける。そこで一通りの訓練を受け、一人前の大人になっていくようなもの。自分の国は自分たちで守る、という精神がきちんと根付いている。先のおばさんがいっていたような、平和に心安らかに暮らせるためには、色々な代償も必要ということなのだろうか。

 

 個々の理由、または絶対行きたくない、という若者は公共の施設なのでボランティアをすることになっている。ユースホステルの若いスタッフはそんな人が多かった

 

北極圏終着駅 Bodeボーデ

 列車で北上していくとだんだん樹木の高さが低くなってくる。北極圏に入る頃にはほとんど樹木もなく、真っ白な広々とした大平原。 終着駅では夜も遅くなっているはずなのに、白夜のお陰でまだ全然明るい。異様な世界に感じてしまった。

 ここまで来る列車のなかでいろんなことがあって、いろんな感情に振り回されたせいだろうか、とても疲れた。明るい真夜中に街中を徘徊する気にもなれず、登りの夜行列車に席を確保。明日の朝にはスウェーデンのストックホルムだ。

 

 

考察

 そう、ヨーロッパの人々は、例え若者であっても自分の意見をはっきり持っている。

 自己紹介の時によく聞かれることがある「日本のどっから来たの」「なごやってとこだよ」「そこの人口は何人?」「ん?(絶句)」 人口なんて気にしたことなかった。

 ヨーロッパでは国と国とが戦ってきた長い歴史がある。己のアイデンティティーをしっかりもって、己のルーツに誇りを持ち、己の意見をしっかりもっていなければならない。

  

 ここにも日本人が英語をしゃべれない大きな要因がある。

発音を気にしすぎるからとか、間違ったら恥ずかしいとか、色々あるが、まず会話のなかで話す内容、それに伴う自分の意見を持ってないことが大きいのではないだろうか? 「こうこうこういうことがあったんだけど、君はどう思う?」

と聞かれたときに「え? どう思うって言われてもなー」みたいなことはないだろうか。

 

 はじめから発音を完璧にしないといけないと思われる方も多い。しかし、長く英国に滞在してるインド人や中国人でも相当なまった英語でバンバン話してる。相手がそれ本当に理解できるのかなと疑うような英語で、しかも相当な剣幕で英国人と堂々と渡り合ってる。英国人もなれたもんで、鼻っからきちんとした英語を話してくるだろうとは思っていない。元々移民の国なので、相手の文化や習慣が違うのだということはわかった上で、人間として普通に会話する。そして、その人がどんな意見を持っているのかということに敬意を払う。

 ただそれだけのことであり、「きちんとした発音でないといけないんじゃ」とか、初めのうちはまったく臆する必要はないのである。

 それよりもむしろ、「あなたはどう思うのか?」「あなたの意見が知りたい。」と思って人と対しているので、ただニコニコしてばかりいると「この人は頭が弱い人なのかも」と思われてしまう。

 

 藤岡正彦著「国家の品格」「祖国とは国語」おもしろいよ。

 

あともう一点英語の話し方について

 英語という言語は主に頭蓋骨を響かせることによって発音している言語であるため、周波数が非常に高くなる。大体2000~5000ヘルツで発音しているのだそうだ。それに対し日本語は1500ヘルツ程度。同じ領域にかすりもしない。

 なので日本人は英語を発音するときには舞台俳優かオペラ歌手になった様なつもりで頭のてっぺんから声を出すようにしないと、相手に気付いてさえもらえないということさえ起きてしまう。口を大きく動かして、いっぱい肺を動かして、体も動かして、演じるぐらいの気持ちでいきましょう。金山武洋著「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」より

 

 海外のマスク嫌いな面も、これに関係している。西洋人は口元を見て相手の感情を理解しているところが大きい。そこを隠してしまうと、何をうったえたいのかわからない変な奴ということになってしまう。マッドマックしかり、バットマンのベインしかり、映画の悪役は口を隠すマスクをしているキャラクターが多い。

 日本人の「目は口程に物を言う」の場合は、黒いサングラスを室内でもかけている奴は怪しく思う。そのような感覚を、西洋人はマスクをしている奴を見ると感じるのであろう。

 

 もちろん東洋人がきれいな発音で話始めれば、それなりに喜んで会話してくれるし、かえってあんまり上手に発音してしまうと、「お、こいつ話せるんだ」 という感じで容赦ないネイティブスピーク砲撃にあってしまうから初心者はかえって気を付けた方がいい。

 

 その頃の自分は、歴史だいっきらい。先祖のことなんて何にも知らない、政治のことなんて全く興味ない。 選挙にもいったことない。仏壇はあったけど、意味も内容もわかってなくて無宗教、単一民族の (ほんとは単一じゃないんだけどね。アイヌ人とか琉球人とか。)島国で不自由なくぬくぬくと生かさせてもらっていたので、考えなくてはいけないという必要性も感じていない若造であった。

 英語が話せなくてポカーンとしてる、こいつはアホなのかな、と思われていたとしても仕方がない状態であった。実際アホであった。