ベルリン
気を取り直して、次の日は今回のたびのメイン都市のひとつ、ベルリンに入ろう。
1989年ベルリンの壁が崩壊してから2年後になる。あのテレビで見た、歴史が変わるその瞬間のその場所に自分がたつというだけで、ぞくぞくしてくる。
イギリスにいるときに、ベルリンの旧東ドイツ出身の子がいて、あの日あの時のことを教えてくれた。
彼女はその日、どこかへ友達と遊びにいこうと準備しているときだった。窓の外がやたらと騒がしいことに気づいた。多くの人々が壁の方に向かってなにか叫びながら走っていく。そのなかに友人を見つけ聞いてみると「壁が壊れるぞー」というではないか!彼女も半狂乱になってテレビをつけると、なんだかいろんなところがパニック状態。彼女もパニクって(そんなキャラクターの子)、でも壁にいくのは怖かったので、家族とテレビを見ていたそうだ。
それだけ、市民にとっても突然の出来事のようで、そのときは地球上で一番熱かった場所であろう。これがいわゆる「歴史上最も素晴らしい勘違い」から起こったことというのは有名な話ですが、そこに至るまでの多くの悲しい歴史があることを忘れてはいけない。
街中を散策
まず始めに、ベルリンの壁にあった検問所、チェックポイントチャーリー近くに建設された壁博物館。壁ができるまで歴史から、壁が存在する期間、人々がいかにして東からの脱出を試みたのかの展示かしてあった。
車の座席になかに、トランクのなかに、気球にのって、いくつもの地下トンネルをつかって。人々は、必死に命を懸けて愛するもののために、自由のために、危険を省みずに生きようとした。生きる事への必死さに圧倒された。なかには国境の警備をしている人がいきなり銃を投げ捨てて、国境を越えていく若者もいる。人は憎まず、体制を、時を、憎む。
展示のなかでベルリンンフィルの演奏をバックに壁の歴史を映像で流しているコーナーがあった。感極まり、涙なしでは見ていられない。
この感情の高まりのまま、市内の散策。ブランデンブルグ門から続く片側3車線ぐらいの大通りの中央分離帯に立つ。あの日、ここを人々が埋め尽くした。大きく歴史を動かした場所。未だにそのパワーがみなぎっているような気がして、身震いする。人間のパワーを感じる。
ブランデンブルグ門を通って旧東側に入ると、一気に建物が古くなり、町全体が暗い雰囲気に変わる。走っている車も、自分の父親世代のかくかくした古いタイプの車。
西側諸国は東ドイツの中にあった資本主義である離れ小島のような西ベルリンに、航空機で多大な援助をしたお陰で東西ベルリンの格差はとんでもないことになっていたのだろう。
この頃は壁はすでに取り払われていたが、まだその破片は至るところにころがっていた。数年後にこのまちを訪れたときには、この壁の破片をお土産として売っていた。あの時 拾っておけばよかった。
そしてあの有名な壁アート。壁崩壊の後、世界中のアーティストが、壁の旧東側、約1,3kmにわたって描いた作品集。メッセージ性が高い作品が多く、見ていて飽きない。最近では落書きが多くなり、修復がされたときいた。
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