イスタンブールまで来てしまったので、西ヨーロッパに帰るのも大変。しょうがない、時間を金で買うことにした。ローマまでひとっ飛び。
ローマ
ローマではまず、宿探しに苦労した。
ここのユースホステルはそううとう危険であるとの情報をパッカー仲間から聞いていたからである。
安宿を探すために歩き回った。何件か当たってみたがなかなか空いていない。一通り回ってもう一度最初の宿に行ってみる。受け付けのお兄さんが、「あとでこれば、もしかしたら空いているかもしれない」みたいなことをいっていたからだ。
もう夕方になっている。早くしないと野宿ってことになるかもしれない。ローマで野宿はちょっとヤバイような気がする。
「どう?空きは出た?」
「No,no no.残念だけどやっぱないわ。しゃうがないや兄弟!」
「え―――、話が違うじゃんか!じゃあ俺はどうすればいいんだよ!」
「ないものはないんだから、」
「もうどこでもいいんだって!なんならそこのソファーでもいいから。」
「ばかいってんじゃねーよ。帰った帰った!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ほんとなんとか一晩だけでいいから。」
「はー、(しばらく考えて)しょうがねえなー。ちょっとまってろ。」と奥へいった。
「こっちこい。じゃ、しょーがねーから、ここ使っていいぞ。」と、簡単なキッチンと控え室が一緒になったような空間へ案内された。なんの飾り毛もない、窓もないようなくらーい部屋だけど、野宿よりはましだ。
夜中、古い冷蔵庫のブーーーーンという音に悩まされながらもなんとか体を休めることができた。
朝、フロントのお兄さんがキッチンでゴトゴトしている音で起こされた。「食ってくか」朝食をごちそうになり、でもちゃっかり一泊分の宿泊料金をとられ、ローマの観光へいざ。
このまちでもう一泊するのはむずかしそうなので駆け足で主要スポットをめぐって、早々に次の目的地ナポリへ向かうことにしよう。
カトリックの総本山 バチカン市国。元々ここができた当時は町の中心から川を渡った離れた場所であった。歴史と共にローマの都市自体が広がって、バチカン市国はローマの中にあることになる。東京ディズニーランドぐらいの広さしかない国である。
まだ文字が読めない人が多かった時代、キリスト教を布教するために聖書の話を絵画を使って説明した。そのためにここには数多くの宗教画や彫刻の名作が揃っている。
大聖堂はここから天国へつながっている空間として太陽光が窓を通して入ってくるその角度まで計算尽くされてたてられているようだ。
バチカン美術館からあの有名なシスティーナ礼拝堂まで、天井画や壁画の数々を堪能することができた。
ここから町の中心へ戻りながらの観光。
ローマの町中は至るところに噴水がわき出ている。ちょろちょろ流れているだけのところから、トレビの泉のように一大観光名所のところまで。”水を制するものが世界を制する”である。
トレビの泉の対面は扇状の階段になっていて、しばらく足を休めることにした。他にも大勢の人たちが泉を囲むように座っている。
すると日本人らしきグループが旗を持った人を先頭にやって来た。みんな一様にコインを投げ、写真を撮り、忙しく次の観光地へと去っていった。しばらくすると、また同じような団体が来ては、投げて、撮って、忙しく去っていった。そして、また、、そしてまたと、4~5団体は来たと思う。みな一様に忙しそうに、、ただ通り過ぎていった。
隣で座って、その様子を一緒に眺めていたヨーロッッパ人たちは皆笑って「お前も日本人か?」と聞いてくる。一緒になって苦笑するしかなかった。
あの頃はいわゆるバブルの真っ只中。いま日本に来る中国人を見てあーあと思っていることを、日本人もしていたんだ。
しかし、この泉のコインだけで年間1億円以上の収入があるそうだ。
ローマは町中が遺跡。ちょっとでも掘ると遺跡にぶつかるので地下鉄の開発が進まない。
それにしてもなぜ数千年もの前の遺跡がまだ崩れずにあるのか。本によるとローマンコンクリートというものがあって、その成分はまだなぞが多いとのこと。なぜ今の建築には使わないのだろうか?
とにかくあっちにいけば発掘作業。こっちに来ればまた発掘作業。それも相変わらずまったりゆっくり。
コロッセオは想像していたよりでっかい規模にビックリ。野球のスタジアムにひけをとらないスケール。その当時どうやって建設したんだろうと感心。
その向かいにある大きな壁に、時代ごとのヨーロッパ大陸におけるローマ帝国の領土の推移が描かれている。
夕日に映えるコロッセオと相まって、壮大な歴史の哀愁を感じる。
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