異動距離 20000km以上
宿泊先 ユースホステル16泊
列車内 21泊
安ホテル 12泊
キャンプサイト 2泊
友人宅 2泊
フェリー内 3泊
ビーチ 2泊
駅構内 2泊
実は旅の間、ずっと日記をつけていた。しかしその日記、いつの間にかなくなってしまった。だから記憶だけが頼りで、内容が薄かったり濃かったりになってしまった。
ヨーロッパを気ままに廻った2ヶ月間は、今までの人生のなかで濃くて、とても自由で、贅沢な時間だったのではないかと思える。
朝起きて、こなさなければならない予定はなにもなくて、さー今日はなにしようかと思いを巡らせる。そんな時間はあとにも先にもなかった。
別になにもしなくてもいい。
気に入ったところでは、とどまってもいい。
晴れるまで、待っていてもいい。
時計を見るのは時刻表だけ。
ベッドで寝る必要性を感じなくなり、でもたまにふわふわのベッドがあるとすごい幸せを感じ。
空いた時間にはそれなりに色々な出会いがあって。
目の前にある自然や時間はすべて自分だけのものに思えてくる。
大自然に畏敬の念を感じ、ぶあつい歴史に己の小ささを思い知る。
不確定な時間と空間の中で次に何が起きるのかわからないスリルを感じ、毎日が高揚感に包まれていた。
今まで自分の周りのことに振り回され、心かき回され、嘆き、愚痴り、嫉妬していたそんなときにも、一本の狼の足跡は、雪の平原をまっすぐに旅をつづけていた。(星野道夫著「旅をする木」より)
世界には悠々とした大自然があって、歴史はたんたんと流れていたんだと思い知らされた。
もちろん気の合う友と共に歩くというのもいいであろう。
違った視点から物事を理解することもできるし、感動を分かち合うこともできるだろう。
知らない土地を、群れずに、一人で歩くということ。
気の赴くままに、自分自身と対峙するということ。
それを寂しいと感じるか、それとも自由だと感じるか。(野田知佑)
人の心の暖かさにふれる日々でもあった。日本に帰ってから、外人さんを見かけると、なにか困っていることはないかなーと お節介な気持ちになってしまう。
また、あらゆる種類の「なぜ?」に遭遇した。知りたいことが山ほど見つかった旅であった。
その後いろいろな本を読んだが、先人の言うとおり、知れば知るほどまた新たな興味がわいてくる。
とある芸術家が言っていた。
「頭が良い、勉強ができる人たちは、わからないことがあるとすぐググる。でも、わからないことは、わからないことをそのままにしておくのもいい。あえて頭の中に知識を詰め込まずに、まっさらな余白を残しておきたい。」
それも、いい。
またあんな時間を過ごすことができたらと思ってしまうのはいけないことなのだろうか。
そうできたら、自分は何を感じるのだろう。また何を感じなくなってしまっているのだろう。
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